
木下順庵
元和7年(1621年)、誕生。 木下意春の次男で、五人兄弟。京都錦小路の出身。
幼少より神童と称され、僧天海に鬼才を見込まれて法嗣を望まれるが、藤原惺窩の弟子松永尺五に師事することを選び、儒学の勉学に勤しんだ。柳生宗矩に従って一時江戸に出たこともあるが、帰洛後、加賀国金沢藩主前田利常に仕えた。
天和2年(1682年)、江戸幕府の儒官となり、5代将軍徳川綱吉の侍講をつとめた。その間、『武徳大成記』をはじめとした幕府の編纂事業にたずさわり、林鳳岡や林門の儒家たちとも交流している。朱子学に基本を置くが、古学にも傾倒した。
教育者としても知られ、木門十哲と呼ばれる優れた人材を輩出した。元禄6年(1693年)に徳川綱豊(後の徳川家宣)の使者高力忠弘が、甲府徳川家のお抱え儒学者を探しに来た際、順庵は門人の新井白石を推薦した。
元禄11年(1698年)、江戸で死去。

その舘跡がなんと町中にあったので、ご紹介します!
バス停は、四条烏丸で降ります。
烏丸通りを上がると(京都では北に行くことを上がると言います。逆に南に行くことを下がる、です)、1本目の細い道を西に曲がります。
目印は、「四谷学院 京都ビル」です。
ここを左に曲がると。。。
ちょっとおしゃれな「ORENO PAN」というパン屋さんがあります。「俺のパン?」「ORENO PAN?」と今まで何度も通っていたのに調べたことがありませんでしたが、今回この記事を書くに当たり調べてみました。

またまた余談ですが、この先にパンのセレクトショップも最近できました。
さぁ、そんなことより、もうちょっとこの道を進みますと...
清水屋という飲み屋さん、タイガー餃子会館という餃子屋さんがあります。
錦小路って、結構夜ご飯を食べるところが充実しているんですよね。
ん?カラーコーンのあたりを見て下さい!
カラーコーンに隠されて....
はい!木下順庵邸址です。烏丸通から西に入って50メートルぐらいでしょうか。
こんなところに、それもカラーコーンの後ろにあってなんか悲しいですが。
そもそも、京都に生まれた方たちは、こんな石碑なんて日常過ぎて気にしないようです。(偏見)
うちの主人もそうです。
偉い学者様も、自分の家の跡が餃子屋さんだなんて思ってもいないでしょうね。

